青戸辰午とは? わかりやすく解説

青戸辰午

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 05:47 UTC 版)

青戸辰午
あおと たつご
あおと しんご
生年月日 1897年6月30日
出生地 日本 鳥取県日野郡日南町
没年月日 1972年5月
出身校 早稲田大学中退
島根県立松江中学校
(現・島根県立松江北高等学校
前職 弁護士
現職 鳥取県人事委員会委員
米子市選挙管理委員会委員
人権擁護委員
鳥取県地方労働委員会委員
称号 藍綬褒章
配偶者 青戸みどり

当選回数 1回
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青戸 辰午(あおと たつご[注 1]明治30年(1897年6月30日 - 昭和47年(1972年5月)は、日本弁護士政治家。旧名は貞吉[1]

経歴

鳥取県日野郡日南町出身[1]。甚太郎の長男[2]

米子中学[3]松江中学[1]を経て、大正7年(1918年早大中退[4]。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業[4]。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した[4]

戦前米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された[5]

昭和47年(1972年)5月、74歳で亡くなった[5]

人物像

趣味は読書[4]宗教禅宗[4]曹洞宗[2]、住所は米子市加茂町[4]

織田収とは終生大の仲良しだった[5]

家族

脚注

注釈

  1. ^ 『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年には「辰午(しんご)」とある

出典

  1. ^ a b c 『勝田ヶ丘の人物誌』300頁
  2. ^ a b c 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)鳥取・一頁
  3. ^ 『勝田ヶ丘の人物誌』301頁
  4. ^ a b c d e f 『新日本人物大観』(鳥取県版)1957年 ア…59頁
  5. ^ a b c 『勝田ヶ丘の人物誌』303頁

参考文献

  • 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 ア…59頁
  • 『勝田ヶ丘の人物誌』(編集・勝田ヶ丘の人物誌編集委員会、発行・鳥取県立米子東高等学校創立百周年記念事業実行委員会 2000年 300-303頁

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