電気街の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:27 UTC 版)
電気街の形成には、二つの要因があった。一つは終戦直後、近くに位置する電機工業専門学校(現・東京電機大学)の学生がアルバイトで始めたラジオの組み立て販売が大盛況となり、ラジオ部品を供給する電器関係の露天商が集中したことである。ところが1949年に、GHQが道路の拡幅整理のために露店撤廃令を施行したことで、闇市は危機に陥る。GHQの政策に対して露天商組合が陳情した結果、東京都と国鉄が秋葉原駅のガード下に代替地を提供するという措置がとられる。そして露天商がそこへ凝集されたことが秋葉原電気街の始まりとされる。もう一つの要因は、廣瀬無線電機などの小売業者や二次卸し店がが仕入れの目的で多く訪れたことである。その結果、秋葉原は安いという評判が広まり、交通の結節点ということもあって、一般客も集まるようになっていった。 その後は「三種の神器」に代表される戦後の家電ブームに後押しされ、1970年代には全国の家電市場の1割を1平方キロメートルに満たない領域で担う日本一の電気街に成長した。
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