電気事業者の乱立と統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:48 UTC 版)
「一般送配電事業者」の記事における「電気事業者の乱立と統合」の解説
東京電灯の開業後、全国的なブームがあり、全国各地に電灯会社が誕生した。その中でも有力な会社が熾烈な競争を繰り広げながら合併・買収を繰り返し、大正時代に五大電力(東京電灯、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力)と呼ばれるようになった。しかし、零細な電気事業者は数多く、1932年(昭和7年)には、全国に850の電気事業者があったという。他社からの買電に頼る事業者や、発電・送電と電気の卸売りを中心に営業する会社もあり、全ての事業者が発電から小売までを自己完結的に手掛けていたわけではなかった。 1938年(昭和13年)以降、電力管理法に基づき、電力国家管理が実施され、全国の主要な発電所や送電線は日本発送電1社に統合された。さらに、1941年(昭和16年)制定の配電統制令に基づき、1942年(昭和17年)までに、400以上あった電気事業者が地域別の9配電会社(北海道配電、東北配電、関東配電、中部配電、北陸配電、関西配電、中国配電、四国配電、九州配電)に統合された。配電会社は、日本発送電から購入した電気を需要家に販売・供給した。
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