雪辱を期した一戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/12 23:08 UTC 版)
「吉田実 (競輪選手)」の記事における「雪辱を期した一戦」の解説
1959年の第14回全国争覇競輪決勝において、吉田は宿敵・石田に悔しい敗戦(詳しくは石田雄彦を参照)を喫し、しばらくその悔しさのあまり、なかなか寝られない日々が続いたという。 そして翌1960年の第15回の同大会は何としても優勝せねばならないという意気込みで臨み、予選から全勝で決勝へと進出。そして11月3日の決勝の日を迎えた。 ところがこの日、祝日だった上に、前年の同大会がきっかけとなった石田との因縁の対決という触れ込みが戦前から伝えられていたこともあり、開催地の後楽園競輪場ではレース前から観客で一杯の状態。ついには途中からスタンドにあぶれた観客がバンク内へとなだれ込み、何と決勝戦はバンク内に観客を入れて行うという事態となった。 たまたまこの一戦において、広島の古田泰久が吉田の前で駆けることを宣言したこともあり、古田は吉田を従えて主導権を奪い、直線に入って吉田は古田を差して見事完全優勝。と同時に前年の雪辱を果たした。 しかし観客をバンク内に入れてレースを行ったことに対して、主催者の東京都は事態を重く見て、翌年の同大会も既に決定していたにもかかわらず、開催を返上。その後同大会は2年間に亘って開催に名乗りを上げるところが現れず、一時は廃止の危機に立たされた(詳しくは日本選手権競輪を参照)。
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