難波家屋敷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:45 UTC 版)
難波家の屋敷は2015年現在も光市立野宮河内に存在するが、長らく住人はおらず、難波家は事実上断絶している。 屋敷傍に難波家の墓地があり、作之進らも葬られているが、墓碑に大助の名はない。 屋敷の土蔵である「向山文庫跡」(こうざんぶんこあと)は、先祖の難波覃庵が1883年に開設した文庫であり、1906年には一般開放し私立図書館となった。山口県初の図書館として1976年、光市指定史跡となっている。しかし整備はされておらず、解説板は立てられているが常駐の管理人等はいない。土蔵は往時の姿を辛うじて留めているものの、屋敷全体の廃墟化が進んでおり、母屋は荒れ果て、板塀は倒壊、庭は自然に還りつつあるなど状態は悪い。「向山文庫」の扁額は三条実美、その下方に位置する「仰高」の額は萩藩主毛利元徳の筆である。なお向山文庫旧蔵書はすべて山口県立図書館、ついで山口県文書館に移され、1980年には光市文化センターに寄託された。
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