難波小学校の創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 01:16 UTC 版)
「大阪市立難波元町小学校」の記事における「難波小学校の創立」の解説
明治時代初期に学制が発布されたことに伴い、西成郡難波村に1874年、第三学区第六大区第一小区第六番小学校(西成郡第一区六番小学校)が創立した。この時に発足した第六番難波小学校が、のちの難波小学校にあたる。 難波小学校は開校当初は、難波村大字難波144番地(現在の浪速区元町2丁目)・月江院を使用していた。1886年には難波村大字難波字東浦手653番地(現在の浪速区難波中3丁目)に校舎を移転し、西成郡難波尋常高等小学校と称した。閉校まで同じ場所に校舎があった。 1890年1月19日には、村の西部を分離する形で、西成郡西側簡易小学校(のち難波第二尋常小学校、現在の大阪市立立葉小学校)が開校している。また1891年には、村の東側を分離する形で西成郡難波第三尋常小学校(のちの大阪市河原国民学校)が開校している。難波第三(河原)小学校は1891年12月13日に難波尋常小学校川東分校として難波村東区役場を使用して開校し、1893年に正式に独立している。 1887年には難波小学校内に付設保育科(幼稚園)が併設された。難波幼稚園は1903年、瑞龍寺(通称:鉄眼寺)の一角を購入して独立園舎を構え、元町幼稚園となった。元町幼稚園は太平洋戦争の戦局悪化により1945年4月に休園し、そのまま廃止となっている。
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