雄輝後の吉村流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:35 UTC 版)
鬼の雄輝の内弟子は長く続かないことでも有名だった。一方、芸能界に身を置いているとはいえ、3歳のときから父に厳しくし込まれた慎之介は、「吉村雄秀」の名取を持つ才能ある舞踊家で、吉村流の定例会などにはきちんと出ていた。晩年になるとさすがの雄輝も気が弱くなったのか、「慎之介をどうかよろしく」と家元継承を示唆する発言もしていたというが、雄輝が死去すると池畑は「雄秀」の名取を返上して吉村流を自ら離れ、家元は実力のある内弟子が継ぐ、という流派の伝統を守らせた。 その結果、内弟子一の高弟だった吉村雄輝夫が五世家元を継ぐことになったが、襲名直後の2000年(平成12年)5月に急逝してしまう。翌年、弟弟子の吉村輝章が六世家元を継いで現在に至っている。
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