鬼の雄輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:35 UTC 版)
この頃雄輝は、大阪の高級料亭「濱作」の長女・池畑清子と結婚した。「濱作」には、中村鴈治郎や岩井半四郎らが出入りし、上方歌舞伎の粋がただよう中で、清子はお嬢様で育ったという。1952年(昭和27年)に長男・池畑慎之介が誕生。のちのピーターである。 師匠の雄光が自分にはなにも教えてくれなかったのとは打って変わって、雄輝は慎之介に3歳で初舞台を踏ませ、お家芸の跡継ぎとして我が子を厳しく仕込んだ。そんな芸一筋の雄輝と清子の間にはやがて溝ができ、1957年(昭和32年)に離婚。好きな方を選べと言われた慎之介は、父は鬼のように怖かったので、母と住むことを選ぶ。清子と慎之介は鹿児島へ移り住んでいった。 独り身になった雄輝は一層芸に励むようになり、名実ともに吉村流を牽引する存在となっていった。1961年(昭和36年)、雄輝は男性としてはじめての吉村流四世家元を襲名する。
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