雁木戦法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/20 06:08 UTC 版)
是安は雁木戦法の創設者としても知られる。ただし、是安の考案した雁木戦法とは、対振り飛車の引き角戦法のことであり、現在相居飛車戦で用いられる囲い(雁木囲い)とは異なる。 伝承によれば、家元に挑戦状を送った是安が、河原で作戦を練っていた際に思い付いたのが雁木戦法である。雁木とは、階段のことである。 雁木戦法 雁木戦法では、対振り飛車戦で2五から6九まで駒を階段のように斜めに並べてから、角を7九に引く。すると、駒の階段(雁木)を登っていくかのように角筋が争点(2四、3五)に届く。是安は、船着き場の階段(雁木)をヒントにこの戦法を創案したとされている(寺の階段となっていることもある)。 しかし、この戦法は是安の死後徐々に姿を消していき、1930年代から1940年代には滅多に見られないものとなっていた。そんな中、当時流行していた相居飛車戦の二枚銀の構えを是安も採用していたことから、溝呂木光治ら一部の棋士によってこれが是安考案の雁木戦法であると誤認され、雁木と呼ばれるようになった。なお、本来の雁木は階段が由来であるが、二枚銀の構えを雁木と呼ぶ場合には、二枚銀を雪避けの屋根・雁木造に見立てているという誤った説明がなされることが多い。 是安自身は伊藤宗看との右香落ちの対局(上述)などで相居飛車戦の二枚銀の構えを採用したことがあるものの、この形はそれ以前の将棋指しも使っていたものであり、是安の創案ではない。
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