陶文峰とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 陶文峰の意味・解説 

陶文峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/12 08:37 UTC 版)

陶 文峰(とう ぶんほう、1980年10月16日 - )は、地方競馬岩手県競馬組合水沢競馬場所属の調教師で元騎手である。国籍は中華人民共和国黒竜江省出身[1]。血液型O型。

来歴

中国で生まれ育つ。父方の祖母が残留孤児であった関係で12歳のときに一家で来日。中学を経て岩手県立水沢農業高等学校に入学、所属していた乗馬部では3年次に国体への出場を果たしている。水沢競馬場でアルバイトしたのが縁で騎手を目指し卒業後、3度目の挑戦で地方競馬教養センター短期騎手課程に合格。

2000年水沢競馬場千葉四美厩舎からデビュー。同年4月15日、水沢競馬第4競走(C2条件戦)ポローニアアーミが初騎乗[1](10頭立て6番人気7着)。同年7月3日、水沢競馬第1競走(C2条件戦)でトーホウシンゲキ(8頭立て1番人気)に騎乗し、29戦目で初勝利を挙げる[1]。1年目は98戦騎乗し4勝止まりであったが、2年目は24勝を挙げ新人騎手表彰を受けた。

2001年9月10日高知競馬場で行われた第16回全日本新人王争覇戦に出場(12人中6位)[1]

2004年に盛岡競馬場の櫻田浩三厩舎に所属変更。同年9月26日に盛岡競馬場にて行われた第6回岩手県知事杯OROカップでは同厩舎のトキオパーフェクトに騎乗し逃げ切り、自身にとって初の重賞勝利となる[1](12頭立て5番人気)。同年11月28日、水沢競馬第1競走(C3条件戦)をトウカイバスターで優勝(10頭立て2番人気)し、1331戦目で地方競馬通算100勝達成[1]

2006年にはマカオへ短期海外遠征した(未勝利、2着1回)[1][2]

2008年4月27日、水沢競馬第2競走(C2十五組条件戦)をベルモントボンバーで逃げ切り優勝(10頭立て4番人気)し、地方競馬通算200勝達成[3]。同年7月13日福島競馬第9競走の織姫賞でダイショウルシアンに騎乗し、中央競馬初騎乗(16頭立て13番人気11着)。

2011年1月17日から3月18日までの予定で笠松競馬場で期間限定騎乗を行う[4]。期間中の所属は加藤幸保厩舎。また、期間中に東日本大震災が発生し、岩手競馬の開幕が遅れることとなったため6月18日まで期間を延長した[5]。同年5月1日付で水沢競馬場の菅原右吉厩舎に所属変更。

2017年に中国・内モンゴル自治区のウランホト競馬場、2018年には雲南省昆明市に遠征して騎乗している[6]

2024年11月20日に発表された令和6年度第2回調教師免許試験に合格したため、11月30日をもって騎手を引退し、翌12月1日付で調教師免許を取得した[7]

地方通算成績は10637戦790勝・2着953回・3着1105回・勝率7.4%・連対率16.4%(2022年2月20日現在)、中央競馬1戦0勝。

2025年3月9日、水沢競馬3Rにおいて、管理するメルティーショコラが出走し調教師デビュー。初戦の結果は4着となった[8]。同年3月10日、水沢競馬1Rに管理馬スピードスターが出走し1着となり、開業2戦目で初勝利を飾った[9]

勝負服

勝負服の柄は赤、胴黄星散らし。中華人民共和国の国旗をモチーフにデザインされている。

おもな騎乗馬

おもな受賞歴

  • 2001年度 岩手競馬新人騎手表彰

脚注

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「陶文峰」の関連用語

陶文峰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



陶文峰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの陶文峰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS