土肥幸広とは? わかりやすく解説

土肥幸広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:16 UTC 版)

土肥幸広
基本情報
国籍 日本
出身地 広島県
生年月日 1961年11月25日
死没 2017年6月(満55歳没)
身長 158cm
体重 52kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
初免許年 1982年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2004年4月30日
重賞勝利 中央15勝
経歴
所属 栗東松田由太郎(1982.3.1 - 1984)
栗東・フリー(1984 - 2004.4.30)
テンプレートを表示

土肥 幸広(どひ ゆきひろ、1961年11月25日 - 2017年6月)は、広島県出身の元騎手・元調教助手

来歴

1982年3月1日に騎手免許を取得[1]し、栗東松田由太郎厩舎所属としてデビューすると、松田幸春の弟弟子となる。初騎乗は同6日中京第6競走5歳以上400万下でシルクニホン(14頭中11着)、初勝利は4月10日阪神第12競走5歳以上800万下・アイゼンチカラで、延べ17戦目[1]であった。3年目の1984年からフリーとなり、1986年には金鯱賞を18番人気のイズミスターで制して重賞初勝利を飾った。

小倉に滅法強いことで知られ、重賞も北九州記念の3勝を筆頭に、小倉大賞典1勝、小倉で代替開催であった1993年1994年中京記念を連覇するなど、相性が抜群に良かった。

さらにアラシやワイドバトルやサマニベッピンといったクセと渋さのある馬とのコンビで活躍し、加藤敬二厩舎や吉永猛厩舎の管理馬への騎乗機会が多かった。

1992年4月末には同僚の丸山勝秀に所有していた記念品(コースレコードを記録した際に贈呈されたもの)を無断で持ち出され、質屋で現金に換金されたことがある。丸山は窃盗の容疑で逮捕されてしまい、事が発覚した。丸山にはギャンブルによる多額の借金があったと言われ、競馬界を追放されている。

2004年4月30日に現役を引退[1]。騎乗成績は6,723戦551勝で、重賞は15勝。

引退後は南井克巳厩舎の調教助手に転身[1]。南井とは、彼が騎手としての引退レースにおいて土肥のを借りて騎乗し、見事勝利したという縁がある。その後、大根田裕之厩舎に移籍した。

2017年6月、病気のため死去していたことが、2019年4月29日ラジオNIKKEI第2中央競馬実況中継」放送内で、解説の荒木敏宏によって明らかにされた。55歳没。

主な騎乗馬

その他

脚注

  1. ^ a b c d 土肥幸広騎手引退 | 競馬実況web | ラジオNIKKEI




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土肥幸広」の関連用語

土肥幸広のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土肥幸広のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土肥幸広 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS