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阿久津氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:46 UTC 版)

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阿久津氏(あくつし)は日本氏族のひとつ。安久津氏、圷氏とも。

概要

圷氏

常陸国の圷氏には、数流あり。常陸太田天神林の圷氏は本姓を源氏とし、伊豆国蛭ヶ小島に挙兵した源頼朝に随い、その幕下として働き、後に常陸国那珂郡阿久津郷に住まうという。同氏は後に佐竹氏に仕え、佐竹義人の代に八代 圷重遠が天神林に移り住み、以来子孫その地に住まうという[2]

近世の圷氏

なお、常陸国では尊王志士・義民として圷氏の名が見られる。

  • 圷吉兵衛 那珂郡竹合村の百姓。安政2年(1855年)に編纂された『御領内義民賞典姓名録』に心得宜敷につき、麻上下御免とある。同年9月4日付け、9月5日申し渡し[3]
  • 圷啓介 那珂郡塩子村の義民。組頭は珍善。天狗党の乱に加わり、慶応3年(1865年)9月1日水戸で獄死する。享年36(38ともいう)。靖国神社合祀[4]
  • 圷忠次郎 那珂郡山方村の義民。元治元年(1864年)9月11日久慈郡中染村で戦死。享年36。靖国神社合祀[5]
  • 圷茂兵衛 那珂郡山方村の義民。元治元年(1864年)9月、久慈郡中染村で傷を負い、捕らわれる。同月3日、獄死。享年58。靖国神社合祀[6]
  • 圷孫蔵 孫兵衛ともいう。久慈郡小島村の義民。慶応元年(1865年)3月12日敦賀にて斬首。享年23。靖国神社合祀[7]
  • 圷松兵衛 諱は秀則。那珂郡西塩子村の小山守。慶応2年(1866年)5月26日江戸佃島で獄死。享年52。靖国神社合祀[8]

脚注

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  1. ^ a b c 太田亮上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店1934年)58、59頁参照。
  2. ^ 大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)45頁参照。
  3. ^ 瀬谷義彦著『水戸藩郷士の研究』(筑波書林2006年)311頁参照。
  4. ^ 明田鉄男『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社1986年)434頁参照。
  5. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)233頁参照。
  6. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)229頁参照。
  7. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)396頁参照。
  8. ^ 明田鉄男前掲書(新人物往来社、1986年)418頁参照。

参考文献

  • 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
  • 大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)
  • 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)
  • 瀬谷義彦著『水戸藩郷士の研究』(筑波書林、2006年)ISBN 4-86004-064-3

関連項目

 



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