関学黄金期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:42 UTC 版)
1949年は関学と京大が初めて優勝を争った年であった。1948年に関大と両校優勝しながら、甲子園ボウルに出場出来なかった関学と創部3年目の京大が下馬評を覆して第2節(当時は4校のリーグ戦)に全勝で対決した。関学は主力の故障が響き苦戦を強いられたが、4Qに逆転し19-13で勝利し、初の甲子園ボウル出場を勝ち取った。関学は同年慶應を下して甲子園ボウル初優勝を達成すると、以降リーグ戦で連勝を続ける。1951年に米田満が監督(関学高等部・中等部の監督を兼任)に就任し、甲子園ボウル4連覇(1953-1956)、6年間リーグ戦無失点(1955-1960)等リーグ史上に残る数々の偉業を達成する。一方で京都大学は、創部3年目の快進撃以降、部員不足から低迷し1957年にはリーグ戦棄権に追い込まれる。以降も低迷が続くが、1965年にコーチに就任した水野彌一が徐々にチームの成績を浮上させる。
※この「関学黄金期」の解説は、「関京戦」の解説の一部です。
「関学黄金期」を含む「関京戦」の記事については、「関京戦」の概要を参照ください。
- 関学黄金期のページへのリンク