関学の連勝ストップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:42 UTC 版)
1971年に水野彌一コーチがコロラド鉱山大学に留学し、金氏眞氏がヘッドコーチに就任する。金氏コーチは、オプション攻撃を導入し、京大隆盛の基礎を築く。1973年の関京戦は、京大がトリプルオプションを初めて実戦に使用して17-0で完封負けを喫したものの、リーグ戦無敵だった関学が京大をライバル視するようになる。1974年に米国留学から帰国した水野彌一が監督に昇格。京大はQB宅田裕彦を中心としたIフォーメーションからのトリプルオプションで1976年の関京戦に臨み、遂に21-0で関学に勝利し、関学のリーグ戦連勝記録を145でストップさせた。しかし、京大はトリプルオプションを温存した関大戦に敗れており関学・京大が6勝1敗で両校優勝となった。甲子園ボウル出場をかけたプレーオフは万博記念競技場で行われ、関学武田建監督のオプション対策が功を奏して関学が13-0で勝利し、京大の甲子園ボウル初出場はならなかった。
※この「関学の連勝ストップ」の解説は、「関京戦」の解説の一部です。
「関学の連勝ストップ」を含む「関京戦」の記事については、「関京戦」の概要を参照ください。
- 関学の連勝ストップのページへのリンク