開明的な君主として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 14:02 UTC 版)
「フェルディナンド2世 (両シチリア王)」の記事における「開明的な君主として」の解説
反動的な君主だった父とは異なり、青年期のフェルディナンド2世は自由主義に理解のある人物として民衆から幅広い人気を集め、人口の過半を占める本土部の住民から特に慕われていた。弱冠20歳で王位を継いだフェルディナンド2世は民衆に平等な司法と疲弊した経済の建て直しの為にあらゆる努力を尽くし、傷つき痩せ衰えた南イタリアとシチリアを救おうとした。またその上で王権を支える土着の貴族たちやカトリック教会と一層に結び付きを深め、彼らと歩む姿勢を明確にした。彼の治世の前半期は比較的平穏に推移した。 フェルディナンド2世は税制改革で減税路線を推進しつつも、王都ナポリ内での実験的な鉄道設置、ナポリ・パレルモ間の電信設備の完備、蒸気船の造船など大胆な支出を行い国力を高めた。
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