開催国決定までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/27 08:20 UTC 版)
「アフリカネイションズカップ2015」の記事における「開催国決定までの経緯」の解説
以下の国が開催国に立候補した。 国名直近の開催年 ボツワナ - カメルーン 1972 コンゴ民主共和国 - ギニア - モロッコ 1988 南アフリカ共和国 2013 ザンビア - ジンバブエ - CAFは、2010年9月30日の締め切りまでに2015年大会と2017年大会の重複立候補を届け出たコンゴ民主共和国、モロッコ、南アフリカ共和国の申請を受理した。しかしモロッコは「大会実施には整備されたインフラとスタジアムが必要」と主張[要出典]、CAFは3つの立候補国に対しスタジアムやインフラの整備状況、サッカーへの関心度を調査するため検査手順を始め、はじめにコンゴ民主共和国を視察した。コンゴ民主共和国側は11月12日から15日に実行することを意図していたが、日程を短縮させられたことで2015年大会と2017年大会の立候補を取り下げることをCAFに通知した。次に、CAFは2010年11月初めにモロッコを、翌12月には南アフリカ共和国を視察した。 2011年1月29日に一旦は開催国をモロッコにすることを決定したが、2014年11月11日に開催国予定だったモロッコが西アフリカ地域でのエボラ出血熱流行を受け、開催延期を求めたが、CAFは延期を認めず開催国は赤道ギニアへ変更されモロッコは出場資格を剥奪された、代わって赤道ギニアが選ばれた。
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