長坂の戦いとは? わかりやすく解説

長坂の戦い

(長坂坡の戦い から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/20 02:37 UTC 版)

長坂の戦い(ちょうはんのたたかい)は、中国後漢末期の戦い。 建安13年(208年)、荊州に進出した曹操は少数精鋭で劉備を追撃し、南郡当陽県の長坂(現在の湖北省荊門市掇刀区)で追いついて江陵が劉備に奪われるのを防いだが、殿となった張飛の活躍により劉備は江夏へ逃れた。


  1. ^ このほか、非戦闘民多数
  2. ^ この時点で孫権劉璋馬超ら他の勢力は曹操に恭順していた
  3. ^ 三国志』武帝(曹操)紀では新野に、『三国志』荀彧伝では・葉に、『三国志』劉表伝では襄陽に曹操軍が到達したとき劉琮は曹操に降伏したとしている。


「長坂の戦い」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長坂の戦い」の関連用語

長坂の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長坂の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長坂の戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS