張允_(荊州)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 張允_(荊州)の意味・解説 

張允 (荊州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 23:48 UTC 版)

姓名 張允
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
出身地 〔不詳〕
職官 〔不詳〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 劉表
家族・一族 従父:劉表

張 允(ちょう いん、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家武将。従父は劉表(劉表の甥。劉表の姉か妹の子)[1]

事跡

蔡瑁と共に劉表から信任を受けた。また後継者問題では、蔡瑁の姪婿にあたる劉琮の後継を支持し、兄の劉琦を退けようと謀った。劉表の病が重くなると、江夏を守備していた劉琦が見舞いに戻ってきた。張允と蔡瑁は、これを劉表に会わせると後継を考え直す可能性があると勘ぐり、理由をつけて追い返した。やはり劉表死後は劉琮が後継したが、まもなく曹操荊州進攻が始まったため、劉琮は戦わずして降伏した。張允についても、これ以上の記述は史書に見当たらない。

三国志演義

小説『三国志演義』でも登場し、史実同様に劉琮後継のため暗躍する。劉琮が曹操に降伏した後は、蔡瑁と共に曹操から水軍の指揮を任される。赤壁の戦いの緒戦である三江口の戦いでは、蔡瑁・張允は孫権軍に大敗したため、名誉挽回を期して水軍の訓練を再開する。ところが孫権軍の周瑜は、蔡瑁・張允の両名の手腕を警戒し、曹操の間諜として訪れてきた蔣幹に、蔡・張が内通しているとの偽情報を掴ませる。これを蔣幹から聞いた曹操は怒り、両名を呼び寄せて叱責したところ、両名が動揺して言い訳ひとつできなかったため、直ちに処刑してしまう。処刑後、曹操は自分が偽情報にかかったことを悟り、いたく後悔したと描かれている。

  1. ^ 後漢書』劉表伝原文は「又(劉表)妻弟蔡瑁及(劉表)外甥張允並得幸於(劉)表」、魏文帝(曹丕)『典論』姦讒篇は「至蔡氏有寵、其弟蔡瑁、(劉)表甥張允、並幸于(劉)表」。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「張允_(荊州)」の関連用語

張允_(荊州)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



張允_(荊州)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの張允 (荊州) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS