張允伸
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張 允伸(ちょう いんしん、785年 - 872年)は、唐代の軍人。字は逢昌。本貫は幽州薊県[1][2]。
経歴
盧龍軍に仕えて押牙に累進し、馬歩軍都知兵馬使を兼ねた。大中4年(850年)、盧龍軍節度使の周綝が病に臥せると、允伸は留後となり、右散騎常侍を加えられた。この年の冬、検校工部尚書に転じた。ほどなく盧龍軍節度使となった。咸通9年(868年)、光禄大夫の位を加えられ、検校司徒・兼太傅・同中書門下平章事となり、燕国公に封じられた[1][2]。
咸通10年(869年)、龐勛が徐州で反乱を起こすと、允伸は米50万斛・塩2万斛を朝廷に献上した。この年の冬、特進を加えられ、侍中を兼ねた。咸通12年(871年)、病のため医薬を求め、子の張簡会を幽州盧龍軍節度副大使とした。咸通13年(872年)1月25日、死去した。享年は88。太尉の位を追贈された。諡は忠烈といった[3][2]。
家族
- 曾祖父:張秀(檀州刺史)
- 祖父:張巌(納降軍使)
- 父:張朝掖(贈太尉)
- 弟:張允皋(薊州刺史)[1][4]
- 子:張簡会(検校工部尚書・幽州盧龍軍節度副大使)
- 子:張簡真(幽州大都督府左司馬)
- 子:張簡寿(右領軍衛大将軍)[5]
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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