逃避行の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:50 UTC 版)
劉備は先ず新野後背の樊城へと入った後、劉琮の居城で荊州統治の拠点である襄陽へと向かった。しかし、城に近付いたところで城将の張允により矢を射掛けられて劉琮から入城を拒否されてしまう。この際に劉琮配下の将である親劉備派武将の魏延が開城を強行するなど、城内で小競合いがあった。一方、劉琮の曹操への降伏を知ると共に、いよいよ進退窮まった劉備は、諸葛亮を主とした幕僚と共に対応を協議、諸葛亮の進言によって一路江陵を目差す事を決定すると共に、義弟・関羽、諸葛亮らの使者を立て続けに江夏へと派遣し、劉琦へ助力を仰いだ。
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