鋼管パイプ・フレームへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/17 02:37 UTC 版)
1969年、製造コストの面から「ウッドン・フレーム」が見直され、1969年の秋にボックス断面の鋼管スペースフレームに変更された。 1970年になるとマーコス3リットルGTは需要の大きかったアメリカ合衆国の排ガス規制に合わせるため、輸出用として元々触媒装置のあったボルボ・164用3リットル直列6気筒エンジンを搭載したモデルを製造した。また、少数だがトライアンフ製3リットル直列6気筒エンジンを積んだ車も製造されている。 これらのモデルはキット・カーとしても販売され、自分自身で車を組み立てることで購入者が比較的安価で購入できるシステムも取り入れられ、後に述べる「ミニ・マーコス」も含め、キット・カー・メーカーとしても地位を確立した。 同じく1970年、マーコスは新設計の4シーター・スポーツを発表する。この車は「マンティス」(Mantis )と名付けられ、ロータスに在籍していたブライアン・カニントンが鋼管スペース・フレームを設計した。ボディーのデザインはデニス・アダムス。エンジンは トライアンフTR6用2.5リットル直列6気筒エンジンが組み込まれた。ちなみにマンティスはアダム兄弟がデザインした「Adam Probe 15」に端を発し、1968年のスパ1000kmに参戦したマーコス唯一のミッドシップ・レーシング・カー「マーコス・ブラバム」の流れを汲んでいる。 そしてこの1970年、マーコスはイギリスで大企業ではない自動車のスペシャリストとして1位を獲得している。
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