鉄成金・鉱山成金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:33 UTC 版)
「大戦景気 (日本)」の記事における「鉄成金・鉱山成金」の解説
「鉄成金」と呼ばれた神戸の貿易商鈴木商店は、初めは砂糖や樟脳を扱う商社であったが、支配人金子直吉の強気の商業戦略が功を奏して事業が飛躍的に拡大し、1917年には商高が15億円に達して三井物産の11億円を上まわる貿易額を記録した。 日立鉱山の久原房之助は「鉱山成金」の代表といわれる人物である。久原は藤田伝三郎の姻戚にあたり、当初藤田組の経営する小坂鉱山の建て直しに手腕を発揮し、藤田組からの報酬と井上馨の庇護により日立鉱山の経営に乗り出し、他の銅山からも積極的に銅鉱を買い入れていたが、戦時下の銅の値上がりで巨利を得たのであった。久原は前後2回の増資のプレミアムだけで2,000万円以上を儲けたといわれる。久原は、石油、石灰、海運、中国投資などにも事業を拡大し、電気機械修理工場から発足した日立製作所を独立させたが、その急速な拡張ぶりは、当時から「きのこ的発展」と称せられていた。
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