金賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 08:55 UTC 版)
金賞(きんしょう)は、中国の前漢時代の人物である。生年不明、紀元前42年死。侍中・奉車都尉、太僕、光禄勲を歴任した。秺侯。
生涯
父は武帝に信任された金日磾。武帝の死後、昭帝を後見した霍光は、娘と金賞を結婚させた[1]。
始元2年(紀元前85年)に父をなくし、父のあとを継いで秺侯になった[2]。当時、昭帝もまた幼く、金賞は奉車都尉として、弟の金建は駙馬都尉として、年が近い昭帝と起居をともにした[1]。兄弟がまだ8、9歳かそれより幼い頃である[1]。昭帝は元平元年(紀元前74年)に病死した。
地節2年(紀元前68年)の霍光の死後、宣帝の信頼を失った霍氏に謀反のきざしが見えると、金賞は妻を離縁した[3]。霍氏は地節4年(紀元前66年)に一族が誅殺されたが、離縁した金賞は連座を免れた[3]。
金賞は甘露4年(紀元前51年)に太僕になり、侍中を兼ねた[4]
元帝のとき、永光元年(紀元前43年)に光禄勲になったが、翌永光2年(紀元前42年)に死んだ[5]。子がなく、秺侯は除かれた[2]。
脚注
- ^ a b c 『漢書』巻68、霍光金日磾伝第38。ちくま学芸文庫『漢書』6の150頁。
- ^ a b 『漢書』巻17、景武昭宣元成功臣表第5、秺敬侯金日磾。
- ^ a b 『漢書』巻68、霍光金日磾伝第38。ちくま学芸文庫『漢書』6の150 - 151頁。
- ^ 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下。『『漢書』百官公卿表訳注』210頁。
- ^ 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下。『『漢書』百官公卿表訳注』213頁。
参考文献
外部リンク
- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。
金賞(大賞ノミネート作品)
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「第20回日本レコード大賞」の記事における「金賞(大賞ノミネート作品)」の解説
「かもめはかもめ」歌手:研ナオコ - 2年ぶり2度目。 「グッド・ラック」歌手:野口五郎 - 前身の歌唱賞を合わせると、2年ぶり3度目。 「しあわせ芝居」歌手:桜田淳子 「シンデレラ・ハネムーン」歌手:岩崎宏美 - 前身の歌唱賞を合わせると2年連続2度目。 「たそがれマイ・ラブ」 歌手:大橋純子 「故郷へ…」歌手:八代亜紀 - 前身の歌唱賞を合わせると3年連続5度目。 「ブルースカイ ブルー」歌手:西城秀樹 - 前身の歌唱賞を合わせると2年ぶり4度目。 「プレイバックPart2」歌手:山口百恵 - 前身の歌唱賞、大衆賞を合わせると2年連続3度目。 「UFO」歌手:ピンク・レディー 「LOVE (抱きしめたい)」歌手:沢田研二 - 前身の歌唱賞、大衆賞を合わせると2年連続5度目。
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「金賞」の例文・使い方・用例・文例
- その学校は見事に金賞を獲得し、本選大会へ進みました。
- でも今年こそは絶対に金賞を取るという目標がありました。
- 来年は絶対に金賞を取りたい。
- そして私たちは金賞を受賞した。
- 私は金賞が取れて嬉しかったです。
- 私たちは金賞をもらえなかった。
- 私の目標は、そのコンクールで金賞を取ることです。
- 私の目標は、その吹奏楽コンクールで金賞を取ることです。
- 私は今年の大会で金賞を取ることができました。
- 私はそのコンクールで金賞を獲れたので本当に嬉しかったです。
- 吹奏楽コンクールで金賞を取りたい。
- 彼が金賞を受賞する。
- 私達は絶対に金賞を取る。
- 私達は絶対に金賞を取るぞ。
- 結果は金賞でした。
- 金賞はカフェ・メールネージュに贈られた。
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