駙馬都尉とは? わかりやすく解説

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駙馬都尉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/29 08:35 UTC 版)

駙馬都尉(ふばとい)は、かつて中国で、皇帝が乗る馬車のそえ馬をつかさどった官職である[1]。紀元前2世紀に前漢で設けられた[注釈 1]

前漢

武帝のとき、奉車都尉とともに初めて置かれた[1]。設置年は明記されないが、奉車都尉の霍嬗元封元年(紀元前110年)にあった封禅に従ったので[3]、奉車都尉・駙馬都尉の起源は即位年である紀元前141年より後、紀元前110年より前となる。

駙馬とは、馬車につながれるものの、牽引せずに伴走する馬である。4頭立ての馬車では馬を横に4頭並べて馬車につなぐが、綱に重みがかかるのは内側の2頭で、外側の2頭は横を走るだけである。この外側の馬が駙馬で、内側の馬が疲れると交代した。付け馬、副馬、副え馬(そえうま)ともいう。馬車は奉車都尉が管理し、駙馬を駙馬都尉が管理した。

官秩は比二千石[1]。部下がなく仕事も重要ではないが、皇帝の近くに控える側近で、比二千石は高禄である。武帝の駙馬都尉金日磾は、皇帝を暗殺しようとした馬何羅に抱きついて犯行を阻止した[4]昭帝の代には幼い皇帝と年が近い金賞金建の兄弟が8、9歳で奉車都尉・駙馬都尉になった[5]。続く王、史、趙、傅は外戚の一族。董賢は外戚ではないが哀帝に特に寵愛され、弟も駙馬都尉になった。

後漢

後漢における官秩は比二千石で定員はないとされる[6]明帝永平15年(紀元72年)には耿秉が駙馬都尉に任じられ、竇固とともに北匈奴討伐に従事したことが『後漢書』耿秉伝に記録されている[7]

魏晋南北朝以降

代には睿宗淮陽公主の夫王承慶が駙馬都尉に叙されるなど名門への叙任例が見られる[8]代以降も、皇族と婚姻した貴族の栄誉職として駙馬都尉が存続し、『宋史』百官志上に数例が列挙されている[9]

駙馬都尉の人物

前漢

三国

脚注

注釈

  1. ^ 六朝時代干宝捜神記』巻11には駙馬都尉の起源譚が伝えられている[2]

出典

  1. ^ a b c 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』148頁。
  2. ^ 干宝 (1988). 捜神記. 平凡社 
  3. ^ 『漢書』巻55、衛青霍去病伝第25。ちくま学芸文庫『漢書』5の267頁。
  4. ^ 『漢書』巻68、霍光金日磾伝、金日磾。ちくま学芸文庫『漢書』6の149頁。
  5. ^ 『漢書』巻68、金日磾。ちくま学芸文庫『漢書』6の150頁。
  6. ^ “志二”. 後漢書. 早稲田大学出版部. (2023). p. 459 
  7. ^ “耿秉伝”. 後漢書. 早稲田大学出版部. (2023). p. 460 
  8. ^ 新唐書. 中華書局. (1975) 
  9. ^ 宮崎, 聖明 (2010). 宋代官僚制度の研究. 北海道大学出版会 
  10. ^ 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下、後元2年。『『漢書』百官公卿表訳注』207頁。
  11. ^ 『漢書』巻93、佞幸伝第63、序。ちくま学芸文庫『漢書』 7の513頁。
  12. ^ 『漢書』巻64下、巌朱吾丘主父徐巌終王賈伝第34下、賈捐之。ちくま学芸文庫『漢書』5の628頁。
  13. ^ 『漢書』巻82、王商史丹傅喜伝、王商。ちくま学芸文庫『漢書』7の頁。
  14. ^ 『漢書』巻82、王商史丹傅喜伝、王商。ちくま学芸文庫『漢書』7の91頁。
  15. ^ 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下、綏和元年。『『漢書』百官公卿表訳注』207頁。
  16. ^ 『漢書』巻97下、外戚電第67下。ちく学芸文庫『漢書』8の195頁に、駙馬都尉の趙欽を新成侯になしたとある。それが綏和2年5月であることは、『漢書』巻11、哀帝紀第11、綏和2年5月。ちくま学芸文庫『漢書』1の333頁。
  17. ^ 『漢書』巻97下、外戚電第67下。ちく学芸文庫『漢書』8の201頁。
  18. ^ 『漢書』漢81、匡張孔馬伝第51、孔光伝。ちくま学芸文庫7の61。丞相孔光と大司空史丹が駙馬都尉傅遷の免職について奏上。両人の同時在職年を『漢書』百官公卿表下で見る。
  19. ^ 綏和2年(紀元前7年)の哀帝即位から2年余り後に帝に見いだされ、その時から董賢の出世がはじまった。『漢書』巻93、佞幸伝第63、董賢。ちくま学芸文庫『漢書』7の526頁。
  20. ^ 『漢書』巻19下、百官公卿表第7下。『『漢書』百官公卿表訳注』221頁。
  21. ^ 『漢書』巻93、佞幸伝第63、董賢。ちくま学芸文庫『漢書』7の530頁。
  22. ^ 『漢書』巻93、佞幸伝第63、董賢。ちくま学芸文庫『漢書』7の534頁。

参考文献

  • 班固著、『漢書
    • 小竹武夫訳『漢書』1から8、筑摩書房、ちくま学芸文庫、1998年。
    • 大庭脩監修、漢書百官公卿表研究会『『漢書』百官公卿表訳注』、朋友書店、2014年。
  • 司馬彪続漢書』(范曄『後漢書』に合わさる)
    • 渡邉義浩訳、劉昭注『後漢書』志一、二(早稲田文庫)、早稲田大学出版部、2023年、2024年。



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