金沢県及び新川県時代とは? わかりやすく解説

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金沢県及び新川県時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 02:24 UTC 版)

浜黒崎村」の記事における「金沢県及び新川県時代」の解説

1871年明治4年)- 7月14日公布太政官布告350廃藩置県詔書太政官布告353号及び太政官布告354号により廃藩置県が行われ、越中国においては富山藩内を富山県とし、旧金沢藩内の礪波郡射水郡神通川流域一帯を除く新川郡金沢県として、本村該当区域内は金沢県下となる。同年11月20日同日公布太政官布告608号の「今般北陸道飛驒信濃甲斐国ニテ従来諸県ヲ廃シ更ニ左ノ県々被置候事」によって、越中国新川郡射水郡礪波郡婦負郡合せて新川県設置。これによって本村該当区域新川県下となる。 1872年明治5年)- 1月1871年明治4年公布太政官布告170戸籍法にいう区に基づき新川県十村区画受継いで単一区制施行同年6月には単一区制大区小区制改組して21大区93小区設置したが、この時浜黒崎村該当区域は第7大区3区属した1873年明治6年)- 6月1872年明治5年8月2日公布太政官布告42学制及び1873年明治6年4月8日公布文部省令42に基づき、第6大区10番中学区32番小学校として浜黒崎小学校設立1874年明治7年)- 2月、再び大区小区制改正され県下25大区分かつ

※この「金沢県及び新川県時代」の解説は、「浜黒崎村」の解説の一部です。
「金沢県及び新川県時代」を含む「浜黒崎村」の記事については、「浜黒崎村」の概要を参照ください。

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