金森家の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:20 UTC 版)
三木氏・姉小路氏ら旧飛騨国国司らの攻略に活躍した金森長近が、天正14年(1586年)に国主として入府する。天正16年(1588年)より高山城の築城を行い、慶長5年(1600年)までには本丸、二の丸を完成させていた。関ヶ原の戦いで東軍についた長近の功により、美濃国上有知(こうづち、現在の岐阜県美濃市)1万8,000石、河内国金田(かなた、現在の大阪府堺市北区金岡町)3,000石を加増され、ここに飛騨高山藩の初代藩主となる。 慶長12年(1607年)に長近が死去すると、家督と飛騨高山藩領は養子の金森可重が継ぎ、上有知藩は晩年に生まれた実子の金森長光が継いだ。高山藩政は第3代藩主・重頼の時代に検地が行なわれるなどして確立した。このように金森家の統治は6代107年間続いた。 元禄5年(1692年)7月28日に第6代藩主金森頼旹の代に突然出羽国上山藩(現在の山形県上山市)に移封となる。これは飛騨高山の豊富な資源(金・銀・銅・木材等)に幕府が目をつけたとの説と、外様大名ながら当時幕府の側用人に抜擢されていた頼時に不手際があったとの説等があるが、この後、飛騨高山は天領となって明治時代に至ることもあり、前者の信憑性が高い。
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