野口 隆とは? わかりやすく解説

野口隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/25 13:46 UTC 版)

野口 隆(のぐち たかし、1912年3月30日 - 生死不明)は、日本社会学者広島大学名誉教授。 京都帝国大学文学部史学科卒。1962年、「ギュルヴィッチ[要曖昧さ回避]社会学の研究」で九州大学文学博士[1]。広島大学教授1976年定年退官、名誉教授、佛教大学教授、広島修道大学教授。

著書

  • 『古代社会と思惟 社会学的考察』関書院 1954
  • 『ギュルヴィッチの社会学』関書院 1955
  • 『多元弁証法と社会学』関書院 1960
  • 『ギュルヴィッチ社会学の研究』関書院 1961
  • 『日本の社会と思想 古代から近代へ』汐文社 1966
  • 『一般社会学の諸問題』関書院新社 1972
  • 『動的社会学』晃洋書房 1975
  • 『社会学の視座 社会構造・変動・類型と視座』晃洋書房 1981
  • 『続・社会学の視座』広島修道大学総合研究所 1981
  • 『芸術社会学の理論』広島修道大学総合研究所 1983
  • レヴィ=ストロースとその周辺 構造分析批判』晃洋書房 1986
  • 『古代日本人の思考様式 記紀風土記の神話社会学的研究』葦書房 1992
  • モース社会学の研究』葦書房 1992
  • 『巨星高田保馬博士』くらすなや書房 1999
  • 『人間実存の研究 パスカルメルロ=ポンティ高田保馬とともに』晃洋書房 2006
  • 『人間性の研究 深さの人間学』晃洋書房 2007

共著

翻訳

  • アルマン・キュヴィリエ『社会学』三一書房 1964

記念論集

  • 『野口隆博士還暦祝賀記念論文集』広島社会学研究会 1973

出典・脚注

  1. ^ ギュルヴィッチ社会学の研究 野口隆”. 国立国会図書館. 2012年10月31日閲覧。

外部リンク


野口 隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 05:52 UTC 版)

ワシズ -閻魔の闘牌-」の記事における「野口 隆」の解説

山奥農家息子ダム建設計画反対して村長選挙立候補した帝大出身エリート

※この「野口 隆」の解説は、「ワシズ -閻魔の闘牌-」の解説の一部です。
「野口 隆」を含む「ワシズ -閻魔の闘牌-」の記事については、「ワシズ -閻魔の闘牌-」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「野口 隆」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野口 隆」の関連用語

野口 隆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野口 隆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野口隆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのワシズ -閻魔の闘牌- (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS