野口英世と井戸泰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 05:43 UTC 版)
大正4年(1915年)、研究の場をアメリカに求め、梅毒スピロヘータの発見などにより、すでに世界的な医学者となっていた野口英世が15年ぶりに帰国する。野口英世の帰国は新聞などで大きく報道され、まさに「凱旋」の大騒ぎだった。彼は、帰国中に稲田、井戸によるワイル病発見のニュースを知り驚愕する。この帰国中に野口英世と井戸泰は直接会うことはなかったが、翌年野口がアメリカで発表する論文の中に稲田、井戸の論文の引用が見られることから、論文請求などのやりとりがあったものと考えられる。また、この帰国中に千葉医学専門学校(現千葉大学)の伊東徹太教授の研究室を訪れ、ワイル病研究の視察をしている。 大正7年(1918年)、留学のためアメリカに向かった井戸を港まで迎えに出た日本人の姿があった、野口英世である。野口の出迎えを受けた井戸は「大変喜んだ」と記録が残っている。
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