野口英世の一時帰国と石塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 09:05 UTC 版)
「石塚三郎」の記事における「野口英世の一時帰国と石塚」の解説
1915年5月、アメリカで活動中の野口英世のもとへ「母堂は一見頬痩せ、気色衰え、…余生の長きを望み得ざる有様…」という手紙が届く。差出人は石塚。石塚自身が撮影した野口シカの接写と野口の故郷猪苗代町の風景が添えてあった。不眠不休で研究に没頭していた野口もさすがに老母の近影に接し「矢も盾もたまらなく」なり早期の帰国を決意した、と一般に伝えられている。石塚は野口の一時帰国(実質的には最後の帰国)の際には各地の講演、表敬などに随行。友人ならではの貴重な記録写真を多数残した。
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