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野上忠興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:43 UTC 版)

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のがみ ただおき
野上 忠興
生誕1940年
東京府
国籍 日本
出身校早稲田大学政治経済学部政治学科
職業政治ジャーナリスト
団体共同通信社

野上 忠興(のがみ ただおき[1]1940年昭和15年) - )は、日本の政治ジャーナリスト。

略歴

1940年東京府に生まれる[2]1964年(昭和39年)に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、共同通信社へ入社した[2]。同社では社会部、横浜支局を経たのち、1972年(昭和47年)に本社政治部に配属された[1]。政治部では佐藤栄作田中角栄の首相番として首相官邸の取材を皮切りとして、主に自由民主党清和政策研究会の番記者を長らく担当し、安倍晋太郎と親交した[1][2][3][4]。野党、外務省、2回の自民党各担当キャップを務めたほか、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任して2000年平成12年)に共同通信を退社した[1][2]

以降はフリーの政治ジャーナリストとなり、月刊誌や週刊誌で政治レポートを執筆しつつ、早稲田大学エクステンションセンターの講師としての講義や講演活動も行っている[1][2]。また、2003年(平成15年)前半頃からは安倍晋三の単独インタビューや、安倍家の内情に通じる晋三の乳母兼養育係を務めた久保ウメを取材し、これらを基として晋三の評伝を書籍として複数刊行した[3]。これらは晋三の過去を理解するための拠り所として、多数の書籍に引用され、または参考文献に挙げられている[3]

主な著作

  • 気骨 ―安倍晋三のDNA― (講談社 2004年)
  • ドキュメント安倍晋三 ―隠れた素顔を追う― 〈講談社biz〉 (講談社 2006年)
  • 安倍晋三 沈黙の仮面 ―その血脈と生い立ちの秘密― (小学館 2015年)

脚注

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  1. ^ a b c d e 野上忠興 (2020年8月26日). “安倍首相がもう一人の祖父「安倍寛」のことを口にしない理由”. NEWSポストセブン. 小学館. 2021年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 野上忠興「著者略歴」『ドキュメント安倍晋三 : 隠れた素顔を追う』講談社、2006年8月。全国書誌番号:21100101ISBN 4062820269
  3. ^ a b c 野上忠興氏に訊く!「安倍晋三とは何者なのか?」”. BEST TiMES. ベストセラーズ (2019年7月19日). 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月27日閲覧。
  4. ^ 【対談】政治評論家・野上忠興×ジャーナリスト・鈴木哲夫”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 徹底比較 安倍晋三と石破茂 父・安倍晋太郎はバランス感覚…石破二朗は事務次官を経験. 日刊現代. p. 3 (2018年8月24日). 2021年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月27日閲覧。



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性格西日本新聞東京報道部長の植田祐一は、嫌みがなく育ちの良さがにじみ出ていて、真面目で温厚な性格を「保守」の鎧で固めたような人物だが、本来の「優しさ」ゆえに、第1次政権時には郵政造反組を復党させ、スキャンダル閣僚を擁護した結果、傷口を広げることになり総理辞任の一因にもなったと評した。第1次政権時代から経済財政政策のブレーンを務める高橋洋一は、ほとんどの政治家がマクロ経済政策に関心を持たない中、安倍は高い関心を持ち失業率の抑制を重要視していることから、まるで野党が主張するような政策を掲げる一風変わった人物だが、非常に人当たりがよく漫談をやらせたら天下一品であり、人たらしで、「世界一の肩揉み名人」と評した。共同通信記者時代から親しい関係にある参議院議員の青山繁晴は、どれほど忙しくても時間厳守で、冷静さもあり、本質的に温厚で寛容な人物と評した。AFP通信は、生まれながらにして政治家になるためのレールが敷かれていた三世議員で温厚な性格だが、「美しい国」づくりをスローガンに「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正を最重要課題に掲げて取り組み、第1次政権時代から一貫した北朝鮮に対する強硬路線は特筆すべきものがあると評した。政治ジャーナリストの野上忠興は、国会では強気な姿勢が目立つが本来は根が優しい、むしろ気弱ともいえる性格であり、とくに女性には強く言えないと評した。座右の銘吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「初心忘るべからず」。憲政記念館には至誠と揮毫している。愛読書古川薫の『留魂録の世界』。尊敬する人物やファンである人物幕末期の思想家、吉田松陰を尊敬する。「晋三」の名は、松陰の松下村塾の門下生だった高杉晋作からとって付けられた。内閣官房副長官時代に仕えた小泉純一郎、森喜朗を尊敬する対象としている。石原慎太郎には「政治家にいないタイプ」「つねに挑戦的でかつイケメン」などの理由で嫉妬しており、学生時代には父にあうために来訪した石原に『太陽の季節』文庫本にサインを書いてもらった際にもっと新しいものを買えと全く媚びない言葉を掛けられて憧れを感じている。ファッション
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