重賞挑戦
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昇格後初参戦の小倉大賞典(2013年2月17日、GIII)では単勝1番人気に支持されたものの、5着敗退。中日新聞杯(GIII)で4着となった後、臨んだ新潟大賞典(GIII)にて最後の直線2番手の好位から抜け出し、追い上げてきたアドマイヤタイシをハナ差で凌いで勝利、通算5勝目、4度目の挑戦で重賞初制覇を達成した。続いて単勝1番人気の身で鳴尾記念(GIII)に出走したが6着敗退し、放牧。しかしアクシデントに見舞われ1年半出走することができなかった。 6歳の冬、2014年12月6日の金鯱賞(GII)で復帰、以降コンスタントに出走するが、上位に食い込むことはなかった。復帰後7戦目、新潟記念(2015年9月6日、GIII)にミルコ・デムーロとともに出走。最後の直線では3番手から、早めに抜け出していた柴田大知騎乗のマイネルミラノを外から追い、ゴール板に鼻面をそろえて通過。写真判定の結果、アタマ差先着し勝利し重賞2勝目を挙げた。その後、間を空け金鯱賞(GII)に出走するが7着に敗れた。
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