選挙区の新設と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 20:23 UTC 版)
「1832年改革法」の記事における「選挙区の新設と廃止」の解説
詳細は「1832年改革法で変更された選挙区の一覧(英語版)」を参照 改革法の主な目的は指名選挙区の数を減らすことである。改革法以前のイングランドでは203のバラ選挙区があり、中でも(住宅戸数と税収から計算した)小さい順1位から56位が全廃され(一人区であるヒガム・フェラーズ選挙区(英語版)以外は全て二人区だった)、57位から86位までは1議席削減された。また、四人区のウェイマスおよびメルコム・レジス選挙区(英語版)は二人区になった。したがって、1832年改革法によりバラ選挙区で143議席が削減された。 廃止された議席の代わりに130議席が新設された。 イングランドの26カウンティが二分割され、それぞれ二人区となった。 イングランドの8カウンティとウェールズの3カウンティの議席数が1増えた。 四人区だったヨークシャー選挙区(英語版)がライディング別に分割され(イースト・ライディング・オブ・ヨークシャー選挙区(英語版)、ノース・ライディング・オブ・ヨークシャー選挙区(英語版))、それぞれ二人区となった。 都市部の選挙区が43区創設され、うち22区が二人区、21区が一人区となった。一人区のうち2区がウェールズの都市だった。 合計としてはカウンティ選挙区とバラ選挙区がそれぞれ65議席増となり、イングランドを代表する議員数は17減、ウェールズを代表する議員数は4増となった。選挙区の境界は改革法自体ではなく、同年の議会境界法(英語版)で定められた。
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