適材ではなく適剤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 09:31 UTC 版)
朝鮮戦争が起きたとき、連合国植民地は政情安定せず天然ゴムの供給を減らした。そしてヒュルスに特需がやってきた。しかしブナ原料の石炭は国内生産量が不足し、アメリカから輸入していた。一方、鉄鋼業界も鉄くず・鉄鉱石を輸入に頼った。鉱業は窮地に立たされ、欧州石炭鉄鋼共同体が貿易窓口となって合理化の時間を稼いだ。1952年、IGファルベンがついに解体された。翌年12月9日、ヒュルスが独立して資本金1億2千万マルクの株式会社となった。合理化のため1955年に新設したブナ会社の資本金は、その半分をヒュルスが出して、残り半分は元IGファルベントラストのBASF・バイエル・アグファが拠出した。翌年につくったブラジル工場で、アセチレンや無水フタル酸、さらにダイオキシン入りの枯葉剤を生産するようになり、ベトナム戦争にも使われた。1961年、このブラジル工場だけで資本金が1億2千万マルクとなった。この年、下水処理で汚水に含まれる洗剤の8割をろ過する法律ができて、ヒュルスは合成繊維に進出し、また3年たって生物に無害な界面活性剤を開発した。
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