道義的責任論・社会的責任論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/21 02:07 UTC 版)
「責任主義」の記事における「道義的責任論・社会的責任論」の解説
責任の本質について道義的責任論と社会的責任論が対立する。 道義的責任論 古典学派(旧派)では、人間を一律に自由な意思を持った理性的存在と捉え、犯罪は是非を弁別できる個人が自己の自由意思に基づいてなした行動であるから、結果を発生させようとした悪しき意思(故意)や不注意で結果の発生を予見できなかった緊張の欠如(過失)に対して非難が向けられるべきであるとする。 社会的責任論 近代学派(新派)では、人間を素質と環境によって決定された宿命的存在と捉え、犯罪は行為者の素質と環境の産物であり、社会は犯罪者による犯罪の反復を避けるための防衛手段を講じる必要があり、犯罪者はこの防衛処分を受ける法的地位に立つとする。社会的責任論に対しては、理論的に本来の責任論から逸脱しているとの批判があるほか、規範的な非難を刑罰の前提としている現代刑法の精神とも合致しないなどの批判を受けてほとんど影をひそめるに至っている。
※この「道義的責任論・社会的責任論」の解説は、「責任主義」の解説の一部です。
「道義的責任論・社会的責任論」を含む「責任主義」の記事については、「責任主義」の概要を参照ください。
- 道義的責任論・社会的責任論のページへのリンク