過客のごと鬣なびく冬怒涛
作 者 |
|
季 語 |
冬 |
季 節 |
冬 |
出 典 |
「其桃」 |
前 書 |
|
評 言 |
冬怒涛に向かい、己を貫く気概・・・一読、横山大観の「屈原」が浮かんだ。屈原は中国・楚で国政にあたっていたが、讒言により追放された人物。大観の「屈原」はやつれ、荒野にありながら、なお逆風に屈せず立ち向かっており、力強いイメージが重なったのかもしれない。 「鬣」という漢字の成り立ちが不思議で、白川静著の『字通』にあたったことがある。「鬣」には「ひげ、あごひげ」という意味もあるそうだが、イメージしたのはやはり馬のたてがみだろう。海に近しく育った人であれば、「冬怒涛」は鬣なびくイメージと容易に重なる。それにしても、「過客のごと」とは!荒波に立ち向かい、なびかせているのは、漂泊の思いという鬣なのだろうか。 中村石秋氏と私は同郷、山口県下関市出身。俳句という縁でお会いすることになった大先輩である。実に不思議なことに、二十歳前後に中村氏の句会に参加されていた女性が、数十年を経て偶然にも東京の、私が参加している句会に仲間入りされた。狭いようで広い日本は、広いようで狭いなあとしみじみ感じた今年の出来事だった。 日々に追われ、ふと気付くと今年も残りわずか。光陰は百代の過客。一句を通して、せめて一代を精一杯、過客として生きたいと願う。 |
評 者 |
|
備 考 |
- 過客のごと鬣なびく冬怒涛のページへのリンク