週刊ゴングとの因縁
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ライバル誌だった『週刊ゴング』(2007年3月休刊)と紙面で舌戦を繰り返したことがある。特に1996年の新日本取材拒否の頃には「ゴングの記事など小学生にも書ける」という一般読者からの投稿をそのまま掲載したり、ゴング誌が取材を行わないで記事を書いているかのように匂わせるコラムが掲載、ゴング側の厳しい反論を呼ぶこととなった。また同時期には、長州力の週プロに対する批判意見を週刊ゴング1996年5月2日号にそのまま掲載した事(週プロ側曰く「ゴングは選手に喋らせたことをそのまま掲載するだけで掲載後の言葉の責任をとらない。自分達の手は決して汚そうとしない」)に端を発し、両誌面で激しいやりとりが行われた(長州へのインタビューを行ったり、週プロへの反論をゴングに書いたのは後のゴング編集長金澤克彦)。後に金澤はゴング誌における週プロへの反論の中で、「週プロは後に痛い目に遭う」と受け取れる発言を行い、金澤の発言通り山本は週プロ編集長を退任、週プロ自体の発行部数も数年間ゴングよりも下回る状態が続くことになった。 当時新日本プロレスでファイナルマッチを行なった馳浩が、近い将来全日本プロレス移籍の意思があることを初めて記事にしたのは週プロ(のちの編集長・佐藤正行の取材によるもの)であるが、10年以上経ってもゴング誌側は「このスクープはゴングが初めて記事にした」と譲らなかった[要出典]。 前述のように2014年現在、日本スポーツ出版時代のゴングの紙面記事、写真などの諸権利はベースボール・マガジン社に移譲されている。
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