連邦警護庁
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1996年5月27日、国家警護法成立。同年6月19日、警護総局は連邦警護庁に改称され、大統領保安局はその機構部署に編入された。同年8月2日、連邦警護庁規程承認。 2004年8月7日、解散された連邦政府通信・情報局 (FAPSI) のSIGINT関係を除く全部門が連邦警護庁に編入された。 ウラジミール・プーチン政権下では、FSOは大統領の警護だけでなく、世論調査、大統領に提出される諜報報告の作成、政策の立案や履行状況の点検、国有地の管理、サイバー攻撃への防衛、政府要人の監視など広範な業務・権限を担う「近衛兵」のような側近集団となっており、ロシアのインテリジェンス・コミュニティーにおいて高い地位を占めている。FSO職員は警護やスポーツ(ホッケー)、食事の支度を通してプーチンと親密な関係を築き、州知事や国家親衛隊司令官に抜擢された者もいる。一方で、FSO職員による汚職も指摘されている。
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