近江朝廷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 06:17 UTC 版)
667年に天智天皇(当時中大兄皇子)は宮都を飛鳥から近江大津(近江宮)へ遷し、668年には即位し天智天皇となり、新たな政治体制を発足させた。この政治体制を近江朝廷(おうみちょうてい)という。近江朝廷が668年に制定した法令なので『近江朝廷之令』または『近江令』と呼ばれるようになった。 天智10年(671年)、大友皇子を太政大臣、蘇我赤兄・中臣金を左右大臣、蘇我果安以下三人を御史大夫とした。これが近江令の官制である。新しく太政大臣を置いている。御史大夫は、新しい官名で、後の納言の前身で、大化前代以来、大臣・大連の下にあった国政参議官、大夫の制を官制化したもの。 なお、近江朝廷が滅亡した672年(壬申の乱)に近江令が廃止されたとする意見がある。
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