大臣・大連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:17 UTC 版)
大伴金村と物部尾輿を大連とし、蘇我稲目宿禰を大臣としたが、直後の540年(欽明天皇元年)大伴金村は失脚する。これにより物部氏と蘇我氏の二極体制ができあがるが、特に蘇我氏とは541年(欽明天皇2年)に稲目の娘である堅塩媛や小姉君を妃とし、敏達天皇崩御後、彼女らの間にもうけた用明天皇以降3人の弟・妹が、母親がれっきとした皇族である、甥の押坂彦人大兄皇子を差し置いて約40年皇位につき、蘇我氏の全盛期が築かれる(ただ、当時は親子よりも兄弟の継承が一般的であった)。
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