赤津勇一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 20:34 UTC 版)
赤津勇一(あかつ ゆういち Yuichi Akatsu 生没年不詳)はルバング島守備隊生き残りの少数分散潜伏時に途中で、小野田グループと合流した日本兵。東京都出身。1949年9月にグループを離脱し、1950年6月にアメリカ軍に投降。1950年の戦闘での負傷でグループと離れ、意識不明のところを6月にアメリカ軍に発見されたとされる。最終階級は一等兵。翌1951年帰国し、小野田、島田、小塚の生存を政府に伝えたと言われる。 生没年など詳しいことは不明であるが、若一光司の著作によれば、結婚して日本で生活しているとの記述があり、1980年代中盤時点では存命であった。
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