赤毛のエイリーク親子による「発見」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/05 02:08 UTC 版)
「アメリカ大陸の発見」の記事における「赤毛のエイリーク親子による「発見」」の解説
10世紀頃、北ヨーロッパのノース人(ヴァイキング)赤毛のエイリークがアメリカ大陸北東部の島であるグリーンランドを発見し、その息子であるレイフ・エリクソンがカナダのニューファンドランド島を発見した。 グリーンランド人のサガと赤毛のエイリークのサガに記載された発見の経緯は、以下のようなものである。 エイリークは、父親の罪によりノルウェーとアイスランドを追放された。この際、グンビョルン・ウールフスソンという人物が漂流したときに西方に巨大な陸地があるのを目撃したと語っていたことを思い出し、この土地を目指すことにした。船で大西洋の北部を横断したエイリークは、982年頃にグリーンランドへの上陸に成功した。グリーンランドへの航路を確立したエイリークは、アイスランドに帰還すると仲間を募り、グリーンランドへの集団入植を開始した(ノース人によるアメリカ大陸の植民地化)。グリーンランド入植は成功し、エイリークはこの地の主となった。1000年頃、エイリークの息子であるレイフ・エリクソンは、グリーンランドとノルウェーを行き来するうち、偶然にもグリーンランドよりも南方のヘッルランド、マルクランド、そしてヴィンランドを発見した。彼は仲間を連れてヴィンランドへの入植を試みたが失敗し、グリーンランドへ帰還した。 ヴィンランド発見は長らくサガ(伝説)にすぎず、ヴィンランドがどこであるかすら謎とされていた。しかし、1960年にカナダ東部のニューファンドランド島でサガの記述と合致するヴァイキングの遺跡ランス・オ・メドーが発見され、彼らがこの地に到達していた事実が確定した。
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