貝塚形成時状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 20:14 UTC 版)
市毛は柳崎貝塚が形成された時期の地形について、貝塚の2メートル程度下には浅い海と泥状の沼地が広がり、かつ淡水をもたらす桜川と逆川の河口がある汽水の環境であった、と考察している。また、シカ、イノシシの骨等も出土していることから、柳崎貝塚の南の台地は現在は宅地化が進んでいるが、かっては獣類も普通に生息していた山地で、柳崎貝塚は魚貝、獣等の狩猟面では良い環境であったと、考察している。 佐藤は貝塚が形成されたのは縄文時代前期の関山式土器の時期としているが、市毛は資料の再検討から、出土資料の中に張り瘤を施した土器が1点も無いこと、及び地文である縄文がまばらに施された土器が比較的多いことに着目し、関山式土器時期でもその終末期の短い時期に形成された貝塚であろう、と考察している。市毛はまた同市内の谷田貝塚とほぼ同時期に形成された、とも考察している。 なお、貝層より下の土層からも土器が出土していることは、現地では貝塚が形成される以前から人が暮らしていたことを示している。
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