貝塚御座所日記の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:34 UTC 版)
本願寺門主顕如の側近で、当時大坂にいた宇野主水が記した「貝塚御座所日記」(宇野主水日記)には、天正地震での各地の被害情報が記されているが、帰雲城について以下の記述がある。 十一月廿九日夜四半時大地震、夫ヨリ十余日不止、折々地震。〔……中略……〕飛州ノ帰雲トモ(ママ)在所ハ内島ト云フ奉公衆アル所也。地震ニテ山崩、山河多セカレテ、内島ノ在所ヘ大洪水ハセ入テ、内島一類地下ノ人々ニイタルマテ不残死タルナリ。他国ヘ行タル者四人ノコリテ泣々在所ヘ帰リタル由申訖。彼在所ハ悉淵ニナリタルナリ。〔……後略……〕 他、『越中国名跡志』という史料にも同様の記述がある。
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