豊臣時代後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:37 UTC 版)
五奉行の一人増田長盛が22万3千石の領主として入城する。このとき約48町13間(後に50町に拡張)に及ぶ堀と土塁で城下町を囲む壮大な惣構えが構築され郡山は城郭都市の様相を呈するに至った。関ヶ原の戦い後に増田長盛は高野山に追放となり、郡山城の建築物は徳川家により伏見城に移築された。城地は奈良奉行所の管轄下に入り大久保長安が在番した。
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