豊田薫 (外交官)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 豊田薫 (外交官)の意味・解説 

豊田薫 (外交官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 09:35 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

豊田 薫(とよだ かおる)は、日本外交官太平洋戦争開戦前の1939年9月から1940年10月まで在シンガポール日本総領事を務め、在任期間中に領事館「嘱託」職員による情報工作を指揮、領事館職員がコックス事件篠崎スパイ事件に関連して英海峡植民地警察当局に相次いで逮捕された。日本占領時期にはシンガポール(当時の昭南特別市)政庁総務部長を務めた。[1]

経歴

豊田薫調書

豊田は、1946年5月24日に米軍OCCIOで尋問を受け、1939年9月から1940年10月までの英領マラヤ総領事時代に日本領事館員が行っていたスパイ活動に関する質問に答えている[10]。その中で豊田は、自身が情報工作を行っていたことは否定したが[11]、自身の知らないところで領事館員が情報工作のためにスパイを使っていたかもしれない、と証言した[12]。豊田の在任期間中、駐英領マラヤ日本総領事館には以下の職員が勤務しており、OCCIOは無線通信を行う篠崎と海軍予備士官の永山が机を並べていた点に着目していた[12]

  • 橋詰某:副領事
  • 島貫某:商務嘱託
  • 永山某:海軍予備士官
  • 斎藤某ほか数名:一等書記官
  • 篠崎護:無線操作員
  • 小林猪四郎:同盟通信従業員
  • 柏原某:『シンガポール日日新聞』編集長

家族

  • 1939年9月当時、妻1人、娘2人[13]

脚注

  1. ^ この記事の主な出典は、山本 (2000, pp. 20–21)、Bridges (1986, p. 24)、篠崎 (1976, pp. 72, 90–91)およびThe Straits Times & 1939-07-13
  2. ^ a b c d e The Straits Times & 1939-07-13.
  3. ^ Bridges 1986, p. 24.
  4. ^ 1940年11月10日にシンガポール・セレギー路(Google Maps – セレギー路 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2016年6月4日閲覧)にあった日本人クラブで豊田と後任の鶴見憲日本総領事の歓送迎会が開かれた(The Straits Times & 1940-11-11。)。
  5. ^ The Straits Times & 1940-11-15.
  6. ^ a b シンガポール市政会 1986, pp. 39–40.
  7. ^ シンガポール市政会 (1986, pp. 44, 52)。2月下旬の軍政部会議で決定した、とされている(シンガポール市政会 1986, p. 44)。篠崎 (1976, p. 72)では、同年3月に就任、としている。
  8. ^ シンガポール市政会 (1986, p. 97)。同書では、時期については同年5月に大達が帰国し、7月1日に東京都の初代長官に就任、内藤寛一が昭南特別市長に就任した後、間もなく、とされている。
  9. ^ 篠崎 1976, pp. 90–91.
  10. ^ 山本 2000, p. 20.
  11. ^ 自身の総領事着任前に情報工作実施の指示は受けなかったとし、また1940年9月に枢軸同盟が締結された後、外務省本省から英領マラヤの英軍が増強されているとの噂が本当か確認するよう指示があったが、軍事情報は確認する術がないと返答した、スパイは使っていなかったと証言した(山本 2000, pp. 20–21)
  12. ^ a b 山本 2000, pp. 20–21.
  13. ^ The Straits Times & 1939-09-14.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「豊田薫 (外交官)」の関連用語

豊田薫 (外交官)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



豊田薫 (外交官)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの豊田薫 (外交官) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS