講談・講釈の中の忠教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 20:40 UTC 版)
俗に「天下のご意見番」として名高い忠教であるが、旗本以下の輿が禁止された際に「大だらい」に乗って登城したという逸話がある。これは太平の世に著書『三河物語』が当時の体制に不満を持っていた武功派の武士たちに支持され、いわばヒーローとして祭り上げられた結果ともいえる。 忠教自身、自分の出世を顧みず常に多くの浪人たちを養ってその就職活動に奔走していたといわれており、様々な人々から義侠の士と慕われていたのは事実ではあるらしい。 いわゆる講談や講釈で知られるようになった「大久保彦左衛門と一心太助の物語」は鶴屋南北の弟子・河竹黙阿弥が書いた歌舞伎芝居に脚色してからである。 なお、鳶ヶ巣砦の攻撃を忠教の初陣としているのも講談での脚色の可能性が高い。
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