調査の本格的開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 04:20 UTC 版)
1973年度「仙北地区新農村基盤総合整備パイロット事業」が立ち上げられ、柵跡は壊滅の危機に立たされた。そのため翌年の1974年4月1日に「秋田県払田柵跡調査事務所」を立ち上げ、さらなる調査や柵跡の実態把握、そして柵跡の保護を行っていった。 1989年1月23日外郭の柵木は奈良国立文化財研究所によって、年輪年代法による年代測定が行われ、801年に伐採された材であることがわかった。これにより、桓武朝における坂上田村麻呂らによる征夷事業によるものであり、陸奥国側の胆沢城、志波城と一連のものであることが判明した。払田柵跡からは「嘉祥二年正月十日」と記された木簡が発見されており、この結果とおおよそ一致する。
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