調教師時代 - 死まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:21 UTC 版)
免許取得当時は管理馬房に空きがなく、技術調教師として2年過ごした後、2003年に栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。 初年度から15勝を挙げる順調な滑り出しを見せ、2005年には娘婿の田嶋翔が手綱を取るテイエムチュラサンがアイビスサマーダッシュに優勝、調教師として重賞初勝利を挙げた。さらに年末にはテイエムドラゴンが中山大障害に優勝し、騎手と調教師両方での中山大障害制覇となった。テイエムドラゴンは同年の最優秀障害馬に選出された。 2012年1月23日午後5時50分ごろ、自厩舎2階で首を吊っているところを発見され、救急車で搬送されるも滋賀県栗東市内の病院で死亡が確認された。60歳没。自殺だった。親族が負った多額の借金を肩代わりし、従業員への給与支払いが遅れるなど厩舎の経営状態が逼迫していたとされ、トレーニングセンター内では翌日に控えていた調教師免許更新ができないのではないかと噂されていた。小島の死去に伴い、厩舎所属馬は義兄に当たる湯窪幸雄に引き継がれた。調教師としての通算成績は1705戦137勝、うちGI級競走1勝を含む重賞5勝であった。
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