診断基準への登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 00:07 UTC 版)
「解離性同一性障害」の記事における「診断基準への登場」の解説
そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準(DSM)などにも正式に取り上げられていった。 1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格 (Multiple Personality) が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人のビリー・ミリガン』)が出版される。日本国内において「多重人格」が一般に知られるようになったのは、この『24人のビリー・ミリガン』の邦訳出版と、後の宮﨑勤事件である。判決では否定されているのだが、マスコミ主導でDIDとしての宮﨑被告が盛んに議論された。 1987年のDSM-III-R において多重人格の診断基準が手直しされる。1989年にはフランク・W.・パトナムが『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになった。 1992年、ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」の中に「多重人格障害」が取り上げられた。 1994年、DSM-IVにおいて、「多重人格障害」から「解離性同一性障害」に名称が変更される。 2000年のDSM-IV-TR(テキスト改訂版)においても再録された。
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