許汜の器量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 16:20 UTC 版)
呂布滅亡後、許汜は荊州の劉表を頼りその客人となった。数年後ある宴席で、劉表・劉備と天下の人物を議論する機会があったため、許汜は一時呂布の下で同僚となった陳登を「横暴な(「豪気不除」)人間」と非難した。劉備が非難の理由を尋ねると、許汜は「陳登は客人を持て成す心がない。私と長い間口をきいてくれず、自分は寝台で休み、私を床に寝かせた」と答えた。それに対し劉備が「貴方は国士としての名声がありながら、宅地を求めるばかりで、碌な進言もしなかった。陳登はそれを忌み嫌ったのです。私なら、自分は寝台どころか百尺の楼上に寝て、貴方を床どころか更地に寝かせますな(陳登は、まだ優しい)。」と許汜の小人振りを痛烈に批判したため、劉表は大笑いした。 これ以後、許汜の名は史書に見当たらない。
※この「許汜の器量」の解説は、「許汜」の解説の一部です。
「許汜の器量」を含む「許汜」の記事については、「許汜」の概要を参照ください。
- 許汜の器量のページへのリンク